概要
アントワープ大学(ベルギー)で文化財保護を研究するオリビエ・シャルム博士は、最新のデジタルマイクロスコープを用いて、歴史的文化遺産調査の新しい方法を生み出しました。
歴史的遺産の分析において、光学顕微鏡を用いることによって多くの新しい発見がもたらされます。その遺産の過去が判明することもありますし、最適な保存方法が見つかる場合もあります。
歴史的遺産は一般的な製造業の部品とは異なり非常に不均質なので、微細構造を解析することによって目視では分からないような情報を得ることができます。例えば、塗装が剥離している部分を顕微鏡で観察することで、母材の亜鉛に腐食ができたことが原因だったことが分かりました。また、家具に使われている木材の細胞を見ることで、材料の種類や原産地、加工方法などが明らかになります。
光学顕微鏡は、このような歴史遺産の調査に役立つだけではなく、新たな保存方法の発見においても重要な役割を果たしています。これらの劣化の過程を把握することで、適切な劣化状態の管理方法、劣化しにくくなる処理技術、さらには元の状態に復元する技術を開発することができます。オリビエ・シャルム博士はこの文化財の修復を中心に取り組んでいます。
これまでは、高い分解能が必要なケースにおいては、光学顕微鏡よりもその点では勝る走査型電子顕微鏡が使用されることが一般的でした。しかし、新たな技術を搭載したオリンパスのDSX510は、非常に高い解像度が得られます。最大約9000倍まで拡大することができ、倍率面ではほとんどの場合において不足することはありません。また、最新のデジタルテクノロジーを搭載した撮像機能を有しており、カラー情報も得られることから、電子顕微鏡に代わる魅力的な代替手段であるといえます。シャルム博士の研究室にDSX510が導入された結果、ガラスや金属の劣化に関する研究が進み、例えば写真乾板の損傷の解析など多くの成果を出しています。
歴史的遺産調査における光学顕微鏡の役割
過去を知る
- いつ、どこで、どのようにして作られたのかを知る。
- 素材の成分を分析し、特定する。
- 劣化の進み具合を把握する。
未来を決める
- 保存環境を最適なものにして劣化を防ぐ。
- 保存や補修に最適な処置をする。
- 保存手段が適正かどうかを継続的に評価する。
ガラスの腐食過程を再評価する
ガラスは、最初は透明で平らな物質ですが、時間の経過とともに次第に不透明になり、表面に凹凸が現れてきます。この変化の過程は、19世紀にディビッド・ブリュスター卿によって解明されたと考えられていました。しかし、さらに詳細にガラスを調べていくと、実際にはこの過程がこれまで考えられていたよりも複雑であることが分かってきました。図1は、異常な特性を持つ古いガラスの顕微鏡画像です。ここにはラメラ構造が形成されていることが分かるのですが、この黒い輪と白い輪の違いがなぜ生じるのか、明視野観察と暗視野観察で異なる結果になるのはなぜかなどを含め、どのようにしてこのような構造が形成されるのかは解明されていません。この解析を進めるにあたって、サンプルの広いエリアを高分解能で観察することは非常に重要です。そこでDSX510のステッチング機能を用いることによって、555倍で1.4mm2のエリアを観察しました。さらに、ほとんどの古いガラス同様にこの窓ガラスも表面は平らではなく、これまでの光学顕微鏡では鮮明な高倍率観察は不可能でした。しかしDSX510の拡張焦点機能(EFI)を用いて、Z方向に画像を積み重ねでピントのあった部分のみを合成することで、このように凹凸が大きい古いガラスサンプルでもシャープな画像を得ることができ、その凹凸状態がどのようになっているかを容易に理解することができました。
異なる照明方法を用いることも、マンガンを多く含む構造のガラスの腐食の違いを可視化する上では、非常に有効です。図2に示すのは、約200年の間にこれらの含有物が樹枝上に形成されていったものです。明視野照明で観察すると、高い屈折率により表面の含有物が見えますが、暗視野照明で観察すると、表面直下の含有物を見ることができます。この予期しなかった発見は、面倒な断層写真解析をすることなく、入り組んだ3D構造を明らかにしました。このような形態のマンガンは動くことは考えられないので、水溶性形成物が、酸化還元反応が生じる特定領域に向かって移動していったということが推測されます。そこで、この研究では、この移動過程をさらに解明することにしました。
ガラス劣化状態の確認
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これまでにない詳細部分まで可視化されたラメラ構造を持つ窓ガラス片の表面
検鏡方法:暗視野照明 倍率:555× 視野:1.4mm2 (ステッチング機能使用) そのほか:拡張焦点機能を用いて全面にピントを合わせている |
図1B :明視野(左)および暗視野(右) |
ラメラ構造が進行している同ガラスサンプルの断面
明視野照明と暗視野照明によって得られる内部構造情報の違い。 倍率:1000× |
ガラスに含まれる無機物の形成を調べる
200年の間に形成されたマンガン含有物を、明視野照明および暗視野照明を用いて100倍で画像化しました。拡張焦点機能により完全にピントが合った画像が生成され、暗視野画像を併用することによって、表面だけでなく内部に樹枝状含有物がどのように存在しているのかが分かります。
図2.A 明視野 | 図2.B 暗視野 |
オリンパスのDSX510で撮影された画像。アントワープ大学オリビエ・シャルム博士のご厚意によるものです。
写真撮影の始まり:銀板写真の保護
銀板写真は、1839年に登場し、広く普及したものとしては最初の写真技術でした。研磨された銀板表面で銀と水銀の微粒子が光の散乱を起こすことによって、画像が形成されます。この技術の難点は、傷と変色の両方により画像が容易にぼやけてしまうことです。その例を示したのが図3です。銀の腐食過程を理解することで、これらの写真乾板の洗浄、保存を最適化することが可能になります。そのために、まずは損傷の特徴を知ることが必要です。
古美術品の損傷を解析するために、作品全体の中でどこに特徴があるのかを知ることが重要です。なぜなら、一つの作品の中でも、場所によって微細な構造が大きく異なることがあるためです。異なる微細構造がどのように関係しているのかを把握することは非常に重要であり、サンプルを高倍率で検査するときにもこの関連性を見失わないことが重要です。DSX510の観察倍率を上げていく際に、対物レンズ先端から出る光線が当たる場所を見ることができるため、この関連を維持することが容易です。特徴的な部分を手掛かりにしたナビゲーション、例えば人物の目という特徴を目印にして傷の位置を特定するというようなこともよく行われます(図3.B)。倍率555倍での明視野画像をSEMの2次電子像と比較すると、DSX510では目の部分が見えていますがSEMでは見えません。同じような特徴をSEMで見るには、反射電子像(コントラストは材料の原子番号に依存)を使わなければなりませんが、この方法を用いるとコストが上がります。
銀板写真の損傷の特徴を明らかにする
銀板写真(A)の銀板を、明視野(ネガ画像)よりも肉眼での観察像に近い暗視野画像(ポジ画像)でより詳細に解析しました(B)。倍率555倍で傷の位置を撮影した場合、走査型電子顕微鏡の反射電子像に比べて、DSX510で撮影した画像では、位置の目印となる目の部分を可視化できています(C)。
図3.A |
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画像はアントワープ大学オリビエ・シャルム博士およびエバ・グライテン氏のご厚意によるものです。
腐食を修復する
現代では、最新の保存技術により、腐食の進行を止めるだけでなく、場合によっては酸化状態を還元することも可能です。これは大気圧アフターグロープラズマ処理により可能となり、シャルム博士の研究グループは、欧州のPANNA(Plasma and nano for new-age soft conservation:新世代の優しい保護のためのプラズマ・ナノテクノロジー)プロジェクトの一部として、この技術の改良に力を注いでいます。このプロジェクトでは、3年以上にわたり、文化遺産の洗浄と保護を目的とした新しい技術に注目しています。
水素系プラズマが生成する反応種は、銀の腐食によって生じる硫化銀の黒さびを減らすことができるため、銀の表面を光沢のある状態に再生します。現在のプラズマ処理技術では、純銀であればすぐにきれいになりますが、銅は反応が鈍いため、ごくわずかな銅を含有するだけでもこの処理は複雑になります。残念ながら、古い銀の多くが微量の銅を含みます(例:スターリングシルバーは一般に宝飾品に用いられる合金で、92.5w%のAgと7.5w%のCuを含む)。今までのところ、プラズマ化学反応の材料による反応速度の違いについて、原理が解明されていません。この原理をより深く理解することは、プラズマ処理を異なる材料にも使えるように改良するためだけでなく、経時的に生じる意図しない損傷を避けるためにも重要です。
通気した硫化ナトリウム溶液に純銅板を30分間浸漬し、生成された硫化銅化合物をDSX510で調べることによって、銅の腐食をより詳細に分析することができました。SEMでも高精細の画像を生成できますが、カラー情報は得られません。一方、DSX510では、新しい知見が得られました。図4には、金属粒の境界に形成された腐食物質の粒子が見られます。形状的な特徴というよりも色の特徴であるため、これらの緑色の腐食領域は、SEMではこれまで見逃されていました。この発見は、色情報によってのみ可能だったのです。
また、硫化ナトリウムにさらしたスターリングシルバーの腐食過程をより詳細に観察することによっても、想定しなかった情報が得られています。DSX510による観察と光沢測定(表面の滑らかさを示す)の両方の方法によって、硫化ナトリウムの影響を継続的に分析しました(図5)。倍率2000倍で1時間撮影した連続画像(図5A)から、銅含有物の周りに形成された島状の領域で光沢が低下していることが分かります。その後これらの小さな領域が結合して大きな領域になると光沢が増します。これは、結合により新たに平らな面ができ、そこで光が反射するためと考えられます。この現象は、銀の腐食の起点となる場所で起こった現象で、表面の銅がすべてなくなったことで引き起こされたと考えられます。この表面は60分で完全に変化しました。この観察の結果、スターリングシルバーの腐食過程で銅が重要な役割を果たすことが分かりました。
DSX510により、腐食過程の詳細な観察が可能となった結果、腐食に関連する化学反応が数年前に考えられていたよりももっと複雑であることが明らかになりました。このような試験で特に求められるのが、サンプルの同じ位置を繰り返し顕微鏡下に置く技術です。これは同じ位置を可視化するために必要な技術です。SEMではサンプルの扱いが煩雑なため、面倒な作業が必要になります。
銅の腐食を可視化する
銅を通気されたNa2S溶液中で硫化させ、30分後にDSX510でその金属片の表面を可視化しました。倍率は、150倍(A)、2000倍(B)、4000倍(C)です。このように高い解像度でもカラー情報を得られるため、金属粒の境界における緑色の腐食が明らかになりました。これはSEMによる検査では見逃されていました。
図4.A 150倍 図4.B 2000倍 図4.C 4000倍
スターリングシルバーの腐食過程を可視化する
Na2Sに浸漬したスターリングシルバーを、DSX510を用いて観察倍率2,000倍、明視野で解析しました。サンプルの同じ場所を、時間をおいて複数回観察しました。図5.Aに示すように、まず、銀に含まれる銅含有物が、大きい島を形成しながら腐食します。7分後、硫化銅の島々が結合し、銀の腐食が始まります(灰色部分)。図5.Bから分かるように、銅含有物の島の形成によって表面が粗くなると、光沢が消えます。しかし、島部分が結合して平らな反射面ができると、光沢が増します。この光沢は、銀の腐食により再び消えます。
0分 | 1分 | 3分 | 5分 |
7分 | 15分 | 30分 | 60分 |
図5.A 時間(分) |
図5.B 光沢が表面形状を示す
オリンパスのDSX510を用いて得られた画像。アントワープ大学オリビエ・シャルム博士およびパトリック・ストーム氏のご厚意によるものです。
まとめ
デジタルマイクロスコープDSX510は文化遺産についての理解を深めるために有効です。研究者はこの装置によって、文化遺産の損傷の状態や腐食過程を詳細に観察することができます。シャルム博士の研究グループは、DSX510の利点を生かすことによって、さまざまな歴史的遺産から新しい情報を得ることができました。
文化遺産の研究においては、より高い倍率や化学成分に関する情報などが必要な場合もありますが、DSX510を最初に用いることで研究を効率的に進めることができ、ほかの方法も必要に応じて用いることで研究を補完することができます。
ガラスや金属の遺物を研究する過程では、予期せぬ事実が発見されることがあるため、それによって腐食過程のメカニズムを解明するための新たな課題が生じます。材料の腐食過程についてまだ完全に解明されていませんが、DSX510がメカニズムの解明に重要な役割を果たし、文化遺産の研究を前進させるに違いありません。
著者
オリビエ・シャルム博士は、アントワープ大学(ベルギー)で文化財の保存修復学の教育と研究に携わっています。
マーカス・ファビッシュは、オリンパスSE & CO. KG(独、ハンブルク)の材料化学顕微鏡の製品開発責任者です。