要旨
考古学における使用痕の分析では、石器の表面に残された痕跡を特定することで、どのように使われていたかを判断します。従来の分析では、光学顕微鏡を使用して摩耗の痕跡を目視で特定していました。ここ数年では、石器表面の使用跡を定量化できる、新しい特定方法が開発されています。この新しい方法では、表面粗さの定量化が注目されており、表面の凹凸を小さな単位で測定することにより、鹿の角、肉、木材などの接触物の違いにより生じる表面性状の違いを把握します。
その方法の一つとして、オリンパスの3D測定レーザー顕微鏡LEXT OLS4100を使用して表面性状を明らかにする方法が挙げられます。ここでは、洗浄方法が表面粗さに及ぼす影響を理解するために、実験用の石器で小麦の刈り取りを行い、OLS4100で測定した結果について紹介します。
現在のところ、分析前に石器を洗浄する方法については、使用痕の分析の専門家の間でも一致した意見は得られていません。洗浄方法が標準化されると、さまざまな研究結果を比較できるようになり、使用痕の分析や、摩耗痕の定量化の研究の発展につながります。OLS4100の高解像画像と表面測定機能は、この検証に役立ちます。本調査では、実験用石器に対して、1)アルコール洗浄、2)中性洗剤と水による洗浄、3)水酸化カリウム(10%)と塩酸(10%)による化学洗浄、の3段階の洗浄を行いました。この3段階の洗浄は、サンプルの前処理で一般的に使用されている技法です。
本調査により、OLS4100がサンプルの前処理の標準化と使用痕研究の発展に役立つことがわかりました。本調査の目的は次のとおりです。
- 一般的に使用されている洗浄方法について、表面粗さ測定に与える影響を確認する
- 摩耗した石器表面における、洗浄方法別の影響を視覚化する
レーザー顕微鏡と使用痕の定量化
図1:小麦の収穫に使用した石器のレーザー顕微鏡による3D表示。石器の刃は画面の下に向けられています。 | 石器の使用痕の定量化に関する考古学的調査において、レーザー顕微鏡の使用は次第に普及しつつあります。レーザー顕微鏡を使うと、表面の特徴を3D画像として構築することで、表面性状を明らかにすることができます。また、表面粗さを定量的に測定することにより、接触物なのか研磨剤なのかを識別することもできます(図1)。 |
収穫実験の段取り
図2:サン・ヴァリエ・ド・ティエの外れにある収穫用の畑 | 2011年8月、南フランスで収穫実験が行われました(フランス国立科学研究センターのパトリシア・アンダーソン博士が企画、運営)。実験は5日間に渡って行われ、3日は刈り取りに、1日は小麦の脱穀に、そしてもう1日はもみ殻と小麦の選別に当てられました。収穫が行われた畑は、サン・ヴァリエ・ド・ティエの外れにあり、ヒトツブコムギが植えられています(図2)。この小麦は古くから栽培化されている品種で、古代の収穫作業を再現するのに適しています |
図3:収穫実験に使用された実験用の鎌 | 収穫に使用された実験用の鎌は、ケバラ洞窟(イスラエル)のナトゥフ人の住居からの出土品に倣って作られました(図3)。この鎌には6個のチャート(硬質の堆積岩)でできた幾何学形細石器(ネゲヴチャート)が装着されています。約12,000回(約400分)使用した後、鎌に埋め込まれた細石器のうち2個を選び、洗浄方法による違いを検証しました。 |
石器の分析
鎌に埋め込まれた石器のうち2個を選び、分析を行いました。第一段階では、石器をエチルアルコールと化学雑巾で洗浄しました。化学雑巾を使用したのは、布の繊維などが石器に残るのを最小限に抑えるためです。石器を洗浄した後、それぞれ20倍と50倍の対物レンズを使用してOLS4100でスキャンしました(図4aと5a)。
第二段階では、お湯と中性洗剤を使い、毛先の柔らかい歯ブラシで軽く擦りながら石器を洗浄しました。洗浄後、OLS4100を使い、同じ条件(位置と倍率)でスキャンしました(図4bと5b)。
最終段階では、キーリー氏の方法(1980年)に基づいて化学洗浄を行いました。石器を10%の水酸化カリウム(KOH)水溶液に10分間浸して有機堆積物を取り除いた後、10%の塩酸(HCL)水溶液に10分間浸して無機堆積物を取り除きます。最後に浄水に浸して化学成分を取り除いた後に、OLS4100で石器のスキャンを行いました(図4cと5c)。このように、段階を追ってより強力な洗浄が行われました。
図4:石器1 a)アルコール洗浄、b)中性洗剤と水で洗浄、c)KOH(10%)とHCL(10%)で洗浄
図5:石器2 a)アルコール洗浄、b)中性洗剤と水で洗浄、c)KOH(10%)とHCL(10%)で洗浄
データ分析と結果
調査結果から、アルコール洗浄は、使用痕の視覚的分析(図4aと5a)と使用痕の定量化のいずれにとっても不十分であることがわかりました。図6の集計データによると、アルコール洗浄を行った石器1では、表面粗さの測定値に大きなばらつきがあることがわかります。石器2では、ばらつきが大きく平均値も高くなっています(図7)。これは、摩耗した表面の他に、グリース(滑らかな粒子)と粒子状物質(粗い粒子)が存在するためだと推測されます。画像を目視で確認するとわかるように、表面にグリースや他の粒子が見られます(図4aと5a)。中性洗剤で洗浄すると、グリースや粒子状物質が取り除かれ、両石器とも測定値のばらつきが小さくなりました。石器2では、中性洗剤で洗浄した場合の平均粗さは、アルコール洗浄のみの場合に比べて著しく低くなっています(図7)。また、化学薬品(酸とアルカリ)で洗浄した表面では、小さな粒子状物質はないように見えます(図4cと5c)。したがって、表面性状のばらつきは、化学洗浄において大幅に減少します。これは石器1で特にはっきりしており、中性洗剤で洗浄した表面より化学薬品で洗浄した表面の方が、表面粗さのばらつきが明らかに小さくなっています。石器2では、中性洗剤による洗浄と化学薬品による洗浄では表面粗さの平均値にほとんど差がなく、この石器に関しては中性洗剤による洗浄で十分であったことがわかります。
図6:石器1の平均粗さ(アルコール、中性洗剤、化学薬品で洗浄) | 図7:石器2の平均粗さ(アルコール、中性洗剤、化学薬品で洗浄) |
まとめ
本調査では、洗浄手法の違いが表面性状の測定に影響を及ぼすことがわかりました。また、アルコール洗浄した石器上にグリースや粒子が存在することが目視で確認できたことより、洗浄方法別の違いが目視で認識できることもわかりました。このことは、サンプルの前処理が、使用痕の分析の手法を調査する上で重要であることを示しています。表面性状だけを確実に測定するには、画像取得や測定を行う前に、酸とアルカリで洗浄することを推奨します。石器1では、洗剤による洗浄と化学薬品による洗浄では測定値が明らかに異なっており、石の表面から付着物を取り除くには化学薬品が必要であることがわかりました。ただし、化学施設が利用できない場合、目視評価を行う目的であれば、中性洗剤と水での洗浄でも十分です。
本調査は、レーザー顕微鏡が石器表面の測定に利用でき、使用痕の分析の標準化にも役立つことを示しています。このような洗浄方法により、石器の使用方法を通して過去の行動様式の理解をさらに深めることができます。
謝辞
OLS4100の使用と協力に対し、リチャード・リーチ氏(イギリス国立物理学研究所)に感謝します。
ダニエル・マクドナルド氏は、パトリシア・アンダーソン氏により2011年夏の収穫実験作業への招待を受けたことに謝意を表しています。このプロジェクトに関するマクドナルド氏の研究は、トロント大学大学院の助成事業による支援を受けました。